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第2回達人戦立川立飛杯が開幕! 勝又清和七段による第1回達人戦の振り返り!(前編)
2024年12月3日、12月4日と今年も達人戦立川立飛杯が開催される。そこで、振り返りの意味を込めて、昨年度現地を訪れ、その熱量を知る勝又清和七段に記事の執筆を依頼した。
第1回達人戦立川立飛杯について
第1回達人戦立川立飛杯の本戦(ベスト8による準々決勝~決勝)が、2023年11月24・25日に東京立川市で行われた。本棋戦の参加資格は50歳以上の現役棋士とされていて、該当の参加人数は54人に及んだ。谷川浩司十七世名人、羽生善治九段(永世七冠)、佐藤康光九段(永世棋聖)、森内俊之九段(十八世名人)の4人の永世称号資格者は本戦へシードされる。残りの本戦出場者4名を、ブロック別予選トーナメントで選出した。勝ち抜いたのは、丸山忠久九段、藤井猛九段、深浦康市九段、阿部隆九段――言わずと知れた、歴戦の猛者たちだ。
予選対局は東西将棋会館で順次行われたが、先述の通り、本戦は立川市の「TACHIKAWA STAGE GARDEN」において公開対局の形式で行われることとなっていた。記念すべき第1回大会のため、さまざまなイベントも企画された。
11月23日 指導対局イベント 前夜祭
本戦前日の11月23日(木・祝)には第1回記念イベントとして、「ぐるぐる将棋」が行われた。公募により集まった小学生100人に、谷川・羽生・佐藤・森内がぐるぐる回って指導対局するという夢の企画だ(しかも無料)。この4人に指導受けられるって凄くないですか?
そんなイベントを見逃すわけにはいかないと、私は現地に向かった。当日は快晴。会場が屋外の広場なので、皆ほっとしていた。
盤駒ずらりと四角形に並んで置かれ、さて、棋士の登場を待つ小学生と保護者とギャラリー。そこに現れたのは...ぬわんと和服姿のレジェンド達。すごい、神々しい。小学生になりたい。
草履で歩きながらの指導対局って大変じゃないかなあと見ていたが、4人は疲れた様子もなく指し続けている。しかも、初心者には優しく、将棋教室に通っているような子には定跡通りに。二枚落ちの二歩突っ切り定跡に対しては、6三玉型ではなく3二玉型にするなど、どの将棋も4人で工夫し、阿吽の呼吸で指し継いでいた。佐藤と森内なんて、盤上での感覚はまったく合わないように見えるんですが、さすがですねえ...
終了後、佐藤に「和服に草履で、休憩もとらずにぐるぐる回るのは大変だったんじゃないですか」と聞くと、佐藤は「いえ、大丈夫でしたよ。楽しかったです」と平然とした顔で答えた。羽生は、指導対局中にサバンナの高橋さんが現地に現れて挨拶するとにっこり笑って会話をしていたし、森内は感想戦でも丁寧に教えていたし、谷川は身長が高いのでかがみながら指していたが、まったく疲れる様子を見せなかった。みんな50歳以上だよな...タフだ...
指導を受ける子どもたちだけでなく、保護者も観客も、皆が笑顔になるイベントとなった。
夜には、対局の舞台となる「TACHIKAWA STAGE GARDEN」で前夜祭も行われた。貞升南女流二段の司会、ゲストのサバンナ高橋さんと室谷由紀女流三段によるトークショー、そして参加棋士8名がファンの前で決意表明をした。
11月24日 準々決勝4局
会場の「TACHIKAWA STAGE GARDEN」では、高い壇上で将棋を指すのではなかった。フロアのまん中にしつらえた土俵のような対局スペースを、観客席がコの字型に囲んでいる。近い。そして本棋戦では大盤解説会史上、画期的なシステムが導入された。会場は駒音と秒読みの声しかしないのに、観客は大盤解説を楽しむことができるのだ。両立させる秘密は全員に渡されたイヤホン。対局場の大きなスクリーンに大盤解説の様子が映し出され、その音声を観客はイヤホンで聞くのだ。対局の静寂と緊張感をそのままに味わいつつ、解説も堪能できるとは!
さて、対局だ。予選では持ち時間1時間(チェスクロック)、切れたら一手60秒未満だったが、本戦は公開対局ということで各30分(チェスクロック)、切れたら一手30秒未満とスピーディな戦いとなる。
オープニングは、森内俊之九段対阿部隆九段戦。永世名人資格者を向こうに回す阿部は、五段から九段まで全ての昇段を勝ち星の数で達成した史上初の棋士である。つまり...100勝+120勝+150勝+190勝+250勝と、810勝もの勝ち星を積み上げての昇段だからすごい。棋戦優勝は1993年の第12回全日本プロトーナメント、2002年には第15期竜王戦で挑戦者となった。羽生竜王との七番勝負は3勝2敗から連敗し、惜しくも奪取はならなかった。
話がとぶようだが、じつは私が達人戦での戦いを見たかったのは、この年に他界した中田宏樹九段だった。角換わり腰掛け銀同形の定跡を変え、現在に連なる腰掛け銀のブームを牽引した男だ。阿部とは、1993年度の全日本プロ将棋トーナメント、2002年の竜王戦でも挑戦者をかけて、大一番で何度も戦った仲だが、盤外ではとても親しくしていた。
中田は2021年頃から体調を崩していたが、それでも指すこと、戦うことを諦めず、対局時には自宅から30キロ以上離れた連盟までタクシーで通った。そして2023年2月7日、現役のまま58歳で世を去った。葬儀には師匠の桜井昇九段や一門の兄弟弟子の他、親交のある棋士がかけつけた。皆が中田に感謝の言葉を述べた。私も参列したが、葬儀場に入って驚いた。なんと阿部が、関西からかけつけていたのだ。葬儀が終わった後にお茶に誘ったが、阿部は「翌日対局があるから」と再び皆を驚かせて帰っていったのだ。
だから阿部の戦いぶりを見ていると、中田がいないのが惜しまれる。ああ、中田がこの場所にいたら、どういう戦いを見せてくれただろうか。中田阿部の再戦がいいなあ。いや、中田対谷川だったら1991年の第32期王位戦七番勝負(谷川王位(竜王・王座の三冠)対中田五段)の再現だ。羽生との1985年同期四段(羽生が12月18日、中田が11月28日に棋士に)対決もいいなあ。森内は今でも1990年の王位戦、中田との角換わり腰掛け銀の定跡を変えた名局を忘れていないよ。
森内対阿部戦を見ながら、そうした思いを抱えていた。戦型は相掛かり。56歳対53歳とは思えぬ最新形、藤井聡太竜王対伊藤匠七段の第37期竜王戦七番勝負第3局と同一局面だ。先手の阿部が先に変化し、力のこもった展開になった。しかし結果としては、森内が飛車をスパッと切り、角を攻めに攻めたて快勝した。
阿部が関東の公開対局で指すのは一体いつ以来だったろう? この対局の後日、気迫あふれる対局姿に感動したという言葉を、何人ものファンから聞いた。阿部は気持ちを指先に、駒音に、盤上に、のせる男なのだ。知ってもらう機会となって本当によかった。
続いては、羽生善治九段対深浦康市九段。深浦が後手で雁木を採用すると、羽生は角のにらみで深浦の駒組を制限した後に角交換。角と歩を駒台においてから、先制攻撃を仕掛ける。これが見事にきまって優勢となり、深浦の粘りを許さず羽生快勝となった。
第3局目は谷川浩司十七世名人対丸山忠久九段戦。この2人の対戦といえば、2001年度の第59期名人戦(4勝3敗で丸山が名人を防衛)を思い出す。
谷川は還暦過ぎても将棋が若々しく、最新の将棋に常にチャレンジしている。そして丸山は、なんと第31期銀河戦で優勝を果たした直後である(銀河戦決勝2023年11月1日、放映日12月26日で、このとき公表はできなかったが)。しかもその決勝の相手は藤井聡太竜王・名人! 53歳での優勝は銀河戦の最年長記録だ。
さて戦型は、後手の谷川が四間飛車藤井システムに。藤井猛の眼前で藤井システムとは盛り上げてくれるではないですか。序盤早々大乱戦に。居玉のまま攻める谷川に対し、丸山は飛車を見捨ててと金を作る。
【第1図は△7六角まで】
準々決勝の最後は佐藤康光九段対藤井猛九段戦。居飛車と振り飛車の個性派同士の対戦だ。長年バッチバッチにやり合ってきたが、角交換振り飛車の世界を広げてきた2人でもある。藤井が角交換振り飛車で新境地を切り開けば、佐藤がダイレクト向い飛車を編み出す。佐藤が初めてそれを指したのは2007年だが、2024年の竜王戦七番勝負でも採用されている優秀な戦法だ。また藤井システムも、形を変えながら今も生きている。
【第2図は△1二飛まで】
かくして、ベスト4が出そろった。
*続きは後編へ*